サターンって? 1997年4月より日本国内販売を開始したアメリカはゼネラルモータース(GM)の新ブランド小型車である。 しかし、ただの新ブランドではない。サターンは小型車市場に於いて日本車に苦汁を飲んだGMの反撃、世界戦略小型車計画サターンプロジェクトの使命を帯びた90年代GMの旗手である。 |
![]() 以下「サターン」を中心に書いていくことにしました。サターンについては多くのオーナーがいいページを出していますので、ボクの趣向は「である」調の「主観メインちょっと辛口」で行きたいと思います。でわ。 まず、サターンプロジェクトとは何か?「法政大学教授 下川 浩一氏」は大変興味深く、次のように「GMサターン車の日本国内販売の意義とGMの狙い」の中で考察している。 この2世代目サターンはアメリカ産小型車で先行した初代ネオンとは大違いで品質は大変良い。リテーラーの販売方式と合間って口伝てで評判が広がり、 知らぬ間にサターンは浸透し「気が付いたころには日本車がしてやられていた」というまさに現代の「トロイの木馬」となることが日本進出時のサターンジャパンの目論見だったに違いない。 しかし苦戦は続く。たぶん90年代後半は日本のユーザは輸入車に小型実用車などは既に求めていない。それはメルセデス、BMWの販売数を見れば一目瞭然である。 また小型実用車なら多くの出来のいい国産車とVW、GMではOPELが十分その役割を果たしている。 サターンは1999年初頭クーペに実用性を併せ持った傑作SC2 3doorを日本市場に投入したが、知名度、販売共に起爆剤とはならなかった。 2000年初頭Sシリーズはマイナーチェンジしたが、それと同時にLシリーズを投入していればサターンの日本での認識はずいぶん変わったかもしれない。如何せんSシリーズ3タイプだけでは車種が少なさすぎる。 同じGMのOPELは販売が好調らしい。Lシリーズも含めサターンもOPELも小・中型車セダン・ワゴンを主流としている点では変わりないが、 しかし唯一気になるところは、多くの日本人はOPELにメルセデス、BMWに次ぐAUDI, VWと同格の高品質なドイツ車イメージを、サターンには相変わらず出来の悪いアメリカ車イメージとゆう 誤解を持っている感じを受ける。ハッキリってOPELとサターンの品質がどちらが良いかなど考えるまでもなく、最終的には好みの問題だけである。 アストラとサターンでは、価格差を考えればサターンがはるかにお買い得である。(※もちろんクルマは値段だけで買うものではないが...) 結局のところ多くの日本人は自分の周りの人が理解できる範疇でしか自己主張もアイデンティティも持てないし、持つことに否定すらあるのではないだろうか? 「みんなが知ってる一番が一番」というローカルな貧困発想では販売を含めたサターンの良さを理解するなど到底無理かもしれない。 「礼をつくす会社」という言葉に一般が期待したのは、多くの日本車ディーラーがやってる「内緒ですけど、あなただけには特別に...しましょう」以上のことであり 「誰がどのセールスマンから買っても同じ値段です」は日本流自動車販売から考えると、到底「礼をつくす」とは言い難い。 そもそも「Different Kind of Campany. Different Kind of Car.」を例のコピーにすり替えたのが間違いの元で、本来「他とは違う会社、何か違うクルマ」とゆう自己主張を秘めた言葉であろう。 アメリカ産のクルマは相も変わらずどうしてこう虐げられているのかさっぱり理解できないが、サターンプロジェクトで触れたように「焦らずじっくりそのブランドイメージの育成に努力」 すればアメリカ車のイメージを大きく変えることが出来るのではないだろうか? 日本に於ける「サターンプロジェクト」は、サターンに限らずアメリカ産輸入車全体の「ブランドの確立」という大変厳しい課題までも背負っているような気させする。 国内販売展開からたったの4年弱。2000年11月には雑誌「週間 東洋経済」での特集『間違いだらけのブランド戦略』の中で「現地をそのまま持ち込んだ販売方式。 日本に馴染まないイベント。礼をつくすのは日本人は当たり前...」と酷評(この東洋経済の記事の莫迦さ加減には呆れたが... 理解度が低すぎる)。値引きも少ない売れ筋車種を擁する「Nets」は「訪問なし、押売しない、カジュアルウエア、見通しのよい店内」とサターンが築いた販売方法をうまく利用し成功。 「サターン新宿ステーション」は国内最高販売リテーラーにも関わらず、3年で黒字転換出来ずにJRは撤退、安売りではなく適正価格でブランドを確立し成功した「ユニクロ」に取って替わるあまりに皮肉な結末となった。「サターンに未来はあるのか?」
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